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2024-03-03

商売における世界観という付加価値について

ちょっと前に生業としてのコーヒー焙煎をやめてしまった20年来の友人とやり取りをしたときに、閉業した理由のひとつとして「個人商店もSNSで世界観を表現して付加価値をつけなきゃいけない時代になってしまって、自分はそういうのをやる気になれない」って言っていたのが印象的だった。

この発言は「個人商店の規模で世界観を表現したSNS投稿をするのは面倒」という意味ではもちろんない。彼はおそらく「コーヒーがおいしいという本質が満たされているのに、さらに世界観という付加価値をつけて消費者の共感を得ないとコーヒー豆が売れない世の中なんて馬鹿げている。」と言いたかったのだと思う。

彼と自分は20年くらい前の同時期に同じ喫茶店のコーヒーに惚れ、そこのマスターの元でコーヒーのいろはを教わった兄弟弟子であり、人生の大半をSNSが存在しない時期に過ごしてきたので彼の言いたいことはよく分かる。なんなら僕は彼以上に「自分のやっている商売に世界観という付加価値をつけて消費者の共感を得る」ことに嫌悪感を持っている人間だから。

要するに僕らは自分たちが提供するコーヒーの味以外の部分に「いいね」が付くことを求めていない。「いいね」なんて簡単に共感されてしまう部分に僕らが考えるコーヒーの価値などありはしないし、そもそも僕らが大切にしているものをもしSNS上で表現できたとして、それに対して親指でポチっとハートマークを付けられてなんとなく分かったふうにされることは屈辱ですらある。

古い考え方と言われてしまえばそれまでだが、SNSにあまた投稿されている大人数に共感される分かりやすくカッコよい世界観など僕らは興味がないし、本来は本人しか理解できないはずの職人としての職能すらもSNS上に表出してしまえば「どれだけ『いいね』がついてバズったか」というキャッチーな数値に置き換えられ一瞬で消費されてしまう。そんな世界でコーヒー屋という商売を続けるためは本来の自分自身のほかに、どうしてもSNSで受ける世界観を持った半ば偽りの自分を演じなければならないし、そんなことを長く続けられるわけがない。

SNSで世界観を表現することがマーケティングの大きな要素となってしまった現代でスパッと商売としてのコーヒーを諦めてしまった友人の行動は僕から見ればカッコいいし、それ以上にうらやましくもある。が、アンチテーゼというわけではないが僕はもうちょっと潮流に逆らってコーヒー屋を続けるというあがきをしてみたい。幸運なことに悟理道珈琲にはここに書いたような考えを理解し許容してくれるお客さんが居てくれているように感じているから。

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