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2019-06-22

SNS時代の匿名性という嘘と顔のないコラージュ

Killiman Jah low works Collage Art Exhibition 終了まであと10日程となりました。おかげさまで好評です。まだご覧になっていない方はぜひ。

さて今日はlowさんのコラージュ作品に僕が魅せられた理由について考えてみます。

lowさんの作品を始めて見たのは悟理道珈琲工房がオープンするちょっと前のこと。宇都宮駅の駅ビルに期間限定でオープンしていたセレクトショップ的なお店で展示販売されていました。そのときに一目惚れして購入した作品がこちらです。

作品集の表紙にもなっている作品。実物は額装されて店内に飾ってあります。

何かしらの意図を感じさせるような文字や人物のチョイス。切り取られたパーツの配置のバランスの良さなどこの作品に魅力を感じた理由はいくつか挙げられるのですが、最高にいいなと思ったのは人物に顔がないことでした。

今回作品展を開催させていただきlowさんの作品を始めてじっくりと鑑賞させていただき思ったのは、顔をモチーフにした作品の多さと敢えて顔を晒さない『匿名性』の高さでした。

例えば作品展のフライヤーとして使わせていただいたこちらのコラージュ。

こちらも顔部分が正体不明のなにかに置き換えられています。他にも顔の部分の引き裂かれた細長い紙をたくさん貼り付けて表情が伺えない作品が数多くあります。僕がlowさんの作品で惹かれるものの多くはこうした顔の見えない作品です。

なぜこのような作品に惹かれるのかと言うと先述した『匿名性』が自分の好みや思想にストンと落ちて嵌まるからだと考えています。

このブログを読んでいる方ならばご存知の方も多いかと思いますが、僕は人の顔を覚えるのが苦手です。接客業としては致命的ではあるのですが5回目くらいのご来店でようやく以前も来ていただいたことを認識できるレベルです。

僕は人と会ったときに『何を話したか?』『その人がどういう知識や発想・考え方を持っているか?』に一番興味があり、外見まで気がまわらないというのが顔を覚えられない理由の一つです。

また僕はSNS上だけでの繋がりというものを極端に嫌います。そして何か情報をアップしたときにつまらない反応をしてくるのは往々にして自信満々な自分の顔をプロフィール写真に設定している人だったりします。

表情というものは人を信用させたり騙したりするときにもっとも重要なパーツです。「話すときは相手の目を見て話せ」と教えられますが嘘を付くのが上手な人の目を見て話したら相手の思うがままに騙されたり言いくるめられたりするだけです。だから僕はすでに信頼関係を築いている相手以外はあまり顔を見ないで話すことにしています。(これも他人の顔を覚えられない理由です。)そして初対面から堂々と笑顔かつ強い眼力で話しかけてくる人には最大限の警戒心を持って接しています。

そんな僕にとってlowさんの「顔のないコラージュ」はその匿名性の高さから安心感をもたらしてくれます。また解釈の幅が鑑賞者に委ねられる自由度の高さも大きな魅力です。

絵画を鑑賞するときにはどうしても描かれた人物の表情からなにかを読み取ろうとしてしまいがちです。それはそれで解釈という点からは必要なことなのかもしれませんが、僕はそれ以外の正解のない価値や美しさを見いだせるような作品が好きです。このあたりはテクノミュージックが好きというところにも通じていると思います。

そんな素敵なKilliman jah low works さんの展示会も残り僅かです。人気の作品はご購入を検討されている方もいらっしゃいますので、後悔の無いよう早めのご購入をオススメいたします。

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