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2020-02-20

セルフポートレート

悟理道珈琲工房では月一回「写真部」の活動をしています。

学生時代写真部に所属していた店主と元プロカメラマン・NIPPA米の田中さんが「もう一回ちゃんと写真と向き合いたいねー」なんて話をしていたところから生まれた写真部。毎月テーマを決めて部員の皆さんに写真を撮影してもらい、プロジェクターで映しながらあーだこーだ感想や意見を言い合う部活動です。

2月のテーマは『セルフポートレート』だったのですが、このテーマは僕が発案。学生時代に撮影したマスクを被った写真を未だにFacebookのプロフィール写真に使用しているので「そろそろ素顔を出せるようないい写真を撮ろう!」という意気込みで決めたテーマだったのですが自分が提出したのは上の写真。

結果、20年経っても素顔を晒すセルフポートレートは撮れないということが判明しました(笑)

自分の顔がテレビとか雑誌とかのメディアで露出することには何の抵抗もないのですが、セルフポートレートというものは僕にとって現時点の自分自身が何者であるのかを主観的に見つめ直して表現する手段であり、これまでの人生においてどのタイミングで考えてみても自分は「まだ何者でもない」という結論に辿り着くのです。その考えを写真で表現しようとするとこういう顔の分からない写真になるわけです。

他人が客観的に見た場合、僕は「コーヒー屋の店主」であり、その他様々な性格的な特徴など「あいつはこういうヤツだ」という言葉でラベル付けすることができます。

でも僕自身の捉え方としては、今ここにいる僕は40数年間という連続した時が重なって出来上がっているものであり、今こうしてこの文章を書いている時でさえもまた薄っすらと新しい時間の層がミルフィーユのように重なっていっており、一瞬として同じ自分は存在しないのです。

故にセルフポートレートを主観的な自己表現だと規定するならば僕は今後も自分自身の顔を写すことはできないと思います。

さて話はFacebookのプロフィール写真に戻ります。

FacebookというSNSはその利用目的上、おそらくプロフィール写真にちゃんと自分の顔が写っている写真を使うことが正解なのだと思います。そこで考えたいのが「プロフィール写真は主観的な自分、客観的な自分、どちらで表現された写真を使った方が良いのか?」ということです。

僕は「客観的な自分」の写真を使うことがベターだと考えます。例えば僕だったら「コーヒーを淹れているところをちょっと引きで撮った上半身くらい写っている写真」あたりが落とし所だと思います。

逆にプロフィール写真に「主観的な写真」を用いると圧が強い、胡散臭い印象になることが多い気がします。たまにある「どこ経由で友達申請してきたんだよ?」って思う自己啓発とかコンサル系の人のプロフィール写真はこの「主観的な写真」の場合が多いです。

で、

自分のことを省みるに学生時代に撮ったマスクを被ったセルフポートレートはやっぱり「主観的な自分」の表現に属します。なのでちょっと嫌気が差したのでFacebookのプロフィール写真を削除しました。

前述の通り「客観的な自分の写真」はもはや自分で撮ることは不可能だと思っていますので、僕がお店でコーヒーを淹れているところをいい感じに撮れた方がいらっしゃいましたら、ぜひプロフィール写真に使わせてほしいのでデータを下さい(笑)

最終的に何が言いたいのかといいますと、たった1枚の写真でここまで内面を掘り下げることができるのが写真の本質だということです。シャッターを切るその一回一回にどういう意味があるのか?スマホで気軽に写真が取れるようになった現代だからこそ、あらためてシャッターを切ることの重みを再確認してみませんか?というのが『悟理道珈琲工房写真部』の活動意義だと考えています。

そんな写真部に興味を持ったあなた。部会は大体毎月第3水曜日の夜に開催していますので入部しませんか?雰囲気が知りたいという方は見学もOKです。詳細は直接店主までお尋ねください。気の合う仲間で楽しくやりたいので、僕と気が合わない方は参加をお断りする場合がございます。

ちなみに次回3月のテーマは『人の写真(自分と家族以外)』です。写真を撮る前に撮影する旨の了承を被写体に得ることが前提の「コミュニケーション」の部分をテーマに含んでいます。

いやぁ、写真って本当に楽しいですね。

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