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2017-07-03

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』を読んで自分なりにマルクス経済学と資本主義社会の今後について考えた

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前から気になっていた『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』という本をようやく読みました。
「菌本位」でのパン作りの実践と「マルクス経済学」をベースにした経済論を
自らの体験をベースに分かりやすく記した本で、とても興味深い内容でした。

著書の内容に関しては諸手を挙げて賛成できる部分もあれば、
「それはちょっとどうなの?」と疑問に思う部分もあって
感想がややこしくなるので触れません。
でもこれから自分で何かを始めたいと考えている人にとっては
間違いなく役に立つ一冊なので興味のある方はぜひご一読を。

 

感想を書かない代わりに、
この本で大きく取り上げられている「マルクス経済学」について
ちょっと自分なりの考えを書き記しておきたいと思います。

健全な身体を持つ全ての人間は食料の獲得に従事し、狩猟や収集により産み出されたものを全員が共有する。原始的な社会では産み出されたものは即座に消費されるため、余剰は産み出されず、衣服などの個人的な物品を除けば私有財産はほとんど存在しなかったであろう。長い時間存在したものは道具や家などわずかであり、それらは共同で保持された。そして国家は存在しなかったであろう。(Wikipedia 原始共産制より)

僕は昔から上に引用した「原始共産制」(要するに狩猟社会)が理想の世界だと思っているんですが、
農業や牧畜が生まれ「私的所有権」や「雇用者⇔被雇用者」という考え方が生まれてしまった以上、
世の中は必然的に「資本主義社会」にならざるを得ないということも理解はしています。

財産の共有という考え方は「共産主義」につながるわけですが、
それを実践しようとしてうまくいった国家は(事実上)存在しないし、
その一歩手前の段階である「社会主義」ですら、結局は権力が一点に集中してしまい
(というか「権力」というものが存在する時点でもう上手くいかないような気がしますが)
そこに住まう人々の幸せを永続的に生み出せた事例はありません。

となると「社会主義経済」の理論的なベースとなる「マルクス経済学」は
論理的に間違っている、もしくは大きな問題を抱えているということになります。

でもね。

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』を読んだついでに
マルクス経済学についてちょこっとおさらいしてみたら、
マルクスによる資本主義の定義って異様なまでにストンと腑に落ちる考え方なんです。

ものすごく乱暴にマルクスが言いたかったことを表現するなら、
こういうことなんじゃないかと思います。

「儲けを生み出すことが資本主義の目的なら、資本家は労働者の時間を搾取するしかない。でもいずれ労働者はその状態から生まれた格差に我慢できなくなるだろうし、ゴールのない利潤追求をし続けなければ成り立たない資本主義というシステムそのものがいずれ自分自身を支えきれなくなって破綻する。」

マルクスは労働力を商品と考え、この労働力を安く買い叩くことで利潤が生じると論じます。
今の社会で言えば人件費を抑えるために生産拠点を海外に移したり、
サービス残業をさせたりするのがこれに当たります。

生産拠点を海外に移せば国内の雇用は減るし、
サービス残業が増えれば、労働者の負担は増えます。
海外ではトランプ大統領が企業の海外流出を抑制しようとしたり、
国内ではサービス残業を無くそうという動きもありますが、
実際にそれをやっちゃうと実は資本主義が成り立たなくなっちゃうという矛盾。

マルクスはこの矛盾が解決される世の中の流れを以下のように考えました。

  1. 生産手段を共有化して国が管理する社会主義革命が誘発される。
  2. 労働者階級のプロレタリア独裁を経て階級のない共産主義に必然的に至る。

つまり自己矛盾を孕んだ資本主義は、それ自体が勝手に社会主義へと移行すると考え、
この思想を実践しようとしたのがレーニン、スターリンのソビエト連邦だったわけですが、
歴史が証明しているとおり、これは全くうまくいきませんでした。

有名な共産主義ジョークに

先生「資本主義とはどんな状態かね??」
生徒「資本主義は崖っぷちに立たされています!!」
先生「では共産主義とはどんな状態かね??」
生徒「資本主義の一歩先を行っています!!」

ってのがありますが、
社会主義や共産主義がうまくいかない理由はまさにこれ。
考え方が理想論すぎて現実の世の中や人間の感情を無視しすぎているからです。

じゃあ崖っぷちに立たされた資本主義の向こう側に橋を架けるにはどうしたらいいの?
という問いに対する一つの答えが
『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』の著者が選んだ暮らし方だとも言えます。

一方でこれまでは労働者階級でしかなかった個人が
株や為替、果てには仮想通貨という仮想の価値にすら投機することで
更なる実態の伴わないお金という価値を増殖させるという流れも生まれています。
これもまた資本主義の向こう側に新しい橋を架ける新しい流れとも言えます。

僕個人は「資本主義はやっぱり崖っぷち」と思っていますが、
経済分野のみに限ってみれば、
やりようによってはこれからの先行きはそう暗くないとも考えています。

世界的には分かりませんが、
日本に限って言えばこの先少子高齢化が進むのが間違いない以上、
利潤を追求し続けるという資本主義は遠からず衰退していきます。
特に大きな資本を抱え「お金」という「利潤」を
生み出し続けなければいけない大企業(特に生産や販売業)は
消費者数が減ってしまう以上、いずれその体制を維持することが難しくなります。

では社会全体の経済規模が小さくなってしまった時に
有効な経済活動とはどのようなものなのでしょうか?

それは『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』の著者も書いていますが、
「地域に根ざした循環型社会を構築すること」だと思います。

ほんの30年程度前には自分の住んでいた地域には
スーパーマーケットなどいわゆる量販店は存在しませんでした。
野菜やパンは近所の個人経営の八百屋さんで、
電化製品も個人経営の電気屋さんで買うのがごくごく当たり前。
ところがそこに販売価格が圧倒的に安い量販店が進出することで、
こうした個人経営のお店はあっという間に姿を消しました。

以降、消費者は量販店の便利さを享受し当たり前のように利用しています。
しかし実は日常的に消費するモノの値段が下がるということは、

モノを作るあるいは仕入れるためのコストをカットすることにつながるので
労働者の給料も相対的に減少していきます。
収入が減少すれば節約して消費を抑えるというのが自然な流れなので、
社会全体の経済循環が滞り、結果として不景気と呼ばれる状況になり、
現在多くの労働者が感じているような停滞感が生まれるわけです。

ではシンプルにこの停滞感から脱却するにはどうしたらいいのか?
その答えの一つが「地域に根ざした循環型社会を構築すること」だと思います。

要は
「ちょっと値段は高くても、価値に応じた適正な価格で

商品を売ってくれる近所のお店からモノを買うように心がけるようにしましょう」
ということです。

ざっくり言ってしまえば大型量販店ができる前の状態への回帰、
つまり「地域の商店街の復活」こそが、
地方の地域経済活性化に大きくつながるポイントだと思うのです。

これは決して「あの頃は良かった」的な話ではなく、
地域の人が地元の個人商店で買い物をすることで個人商店が潤い、
個人商店はその利益を内部で留保せずに人件費などの経費に回したり、
同じ地元のお店や農家などから原料を仕入れるのに使うことで、
地域内に活発なお金の循環を生み出し、活発な経済活動の促進につながるという、
考えてみれば至って当たり前の本来あるべき経済活動システムの再構築だったりします。

現在の社会では販売・消費の場の多くが地元と関係ない大きな企業であり、
かつそこでの労働やモノの価値に適正な金額がつけられていないので、
お金が地域内でうまく循環せず、この状況が前述したような
「不景気と呼ばれる停滞感」を生み出す大きな要因となっています。

政府はこの状況から脱するため「インフレ目標」を定め
物価を上げることで経済活動の活性化を促そうとしていますが、
仮に物価が上がったとしても資本主義の本質が「利潤の追求」である以上、
増えた利益は企業の内部留保になるだけで、
労働者の給料は上がらず、実質賃金が下がるだけだと思います。

それよりもむしろ価値に適正な価格でモノを販売したい人たちが
一つのエリアに集まり商店街を形成し、地域内で経済活動を循環させた方が
地域活性化につながることは間違いありません。

自分自身、一粒のコーヒー豆が生産され自分の手元に届くまでの
さまざまな過程をしっかり理解し、そこに焙煎という最後の価値を加え、
その一連の流れや価値を消費者にしっかり伝えられるような
コーヒー屋さんにならなければいけないと考えていますし、
そういうお店を発展と持続可能性のある場所に作ることで、
多くの共感してくれる仲間を呼び込み、
地域振興の役に立てるよう努力していきたいと考えています。

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